旧海軍司令部壕を見学。壕内部が当時のまま残る沖縄戦の貴重な戦跡

仕事のストレスを忘れに年に2回は行くほど大好きな沖縄。

そして必ず訪れるのが「旧海軍司令部壕」です。

太平洋戦争において沖縄防衛を担っていたのは陸軍の第32軍と海軍の沖縄方面根拠地隊でしたが、旧海軍司令部壕はその海軍司令部だった場所。

陸軍の司令部壕跡は首里城と平和祈念公園にありますが、

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どちらも外観のみで中には入れません。

実際に壕内が見学できるのは、この旧海軍司令部壕だけ

旧海軍司令部壕は沖縄戦を肌で知る事ができる数少ない貴重な戦跡として、沖縄を訪れたらぜひ見学してほしい場所です。

旧海軍司令部壕

場所 海軍壕公園
住所
〒901-0241 沖縄県豊見城市字豊見城236番地
開館時間 年中無休 8:30〜17:00(7〜9月は17:30まで)
参観料 450円(小・中学生230円、未就学児無料)
駐車場 あり(無料)
公式サイト
旧海軍司令部壕公式サイト

旧海軍司令部壕は、沖縄戦において日本海軍の沖縄方面部隊を指揮する海軍司令部として構築された壕。沖縄本島南部、豊見城市の海軍壕公園内にあり、海軍の重要拠点である小禄飛行場を守るために構築されました。

壕内部の見学ができるのはとても貴重で、壕はほぼ当時の姿。南部に残る壕の大半は自然の壕を利用して作られていますが、この海軍壕はすべて人の手で掘られた人工壕です。全長450mのうち約300mを見学する事ができ、つるはしで掘った跡、自決した手榴弾の弾痕、大田司令長官が壁に書き残した文字など、当時の様子が生々しく伝わってきます。

 


小禄地区をめぐる戦闘

旧海軍司令部壕は、1944年に日本海軍設営隊(山根部隊) によって構築されました。

1945年4月1日、本島中西部の読谷・北谷の両海岸に上陸したアメリカ軍は、嘉数高地や前田高地などに構築した日本軍の拠点に苦しめられながらも、日本軍の首里司令部に迫りました。追い詰められた日本軍は、5月27日に包囲されつつあった首里を放棄し夜間の豪雨を利用して南部の摩文仁へ撤退を行いました。陸軍の撤退に合わせて、海軍沖縄根拠地隊も5月26日に司令部を放棄し真榮平に撤退しましたが、「第32軍主力の撤退を援護後、6月2日以降に海軍は撤退せよ」という第32軍命令を誤解して先に撤退してしまったため、28日にこの司令部壕へ戻ります。

小禄地区を守るこの海軍部隊(沖縄方面根拠地隊)は、主に飛行場設営隊などを陸戦隊に再編成した部隊のため装備も貧弱で兵力もわずか2,000名ほどでしたが、6月4日、海軍小禄飛行場まで進撃してきたアメリカ軍に対して大田司令官は小禄地区の死守を決意し、6月5日には第32軍司令部に対し「海軍は包囲せられ撤退不能のため、小禄地区にて最後まで戦う」と打電、陸軍第32軍の牛島司令官は大田司令官に南部への後退命令を出しましたが、包囲されつつあった小禄地区からの撤退は難しく、大田司令官は6月6日に各所に訣別の打電を行いました。中でも海軍次官宛の『…沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』という打電は現在でも有名です。

武器も乏しい中、大田少将率いる日本海軍沖縄根拠地隊は小禄地区に侵攻した第6海兵師団に対して10日もの間必死に抵抗を行い、アメリカ軍死傷者1,608名と大きな損害を与えました。しかし6月11日、遂に陣地を包囲され、大田司令官は牛島司令官宛てに「敵戦車群は我が司令部洞窟を攻撃中なり、根拠地隊は今11日2330玉砕す、従前の厚誼を謝し貴軍の健闘を祈る」と打電した後に、海軍司令部壕内で13日に部下参謀5名と共に自決しました。小禄を制圧した第6海兵師団はこの司令部壕があった丘を『提督の丘』と名付けています。

そして南部に撤退した陸軍第32軍も摩文仁に最期の拠点を構築、本土への攻撃を1日でも遅延させるための捨て石として増援もないまま最期まで抵抗を行いましたが、6月23日に牛島満司令官や長勇参謀長などが自決、残る部隊も玉砕を行い、組織的な抵抗が終了しました。

ヒコ太郎

沖縄戦における海軍部隊の最期の地。壕内の姿が当時のまま残る貴重な戦跡です。


旧海軍司令部壕へのアクセス

〒901-0241 沖縄県豊見城市字豊見城236番地

那覇空港や那覇市内からは車で約15分ほど。

海軍壕公園

旧海軍司令部壕があるのは沖縄県豊見城市内の小高い丘の上にある海軍壕公園内。公園内には展望台や遊具広場、売店、慰霊塔などがあり、展望台からは東シナ海や那覇市内、首里城まで見渡せます。

売店では海軍グッズやお土産、ブルーシールのアイスクリームなどが売っています。ここでしか買えないオリジナル商品もあるので、立ち寄ってみてください。

旧海軍司令部壕資料館

司令部壕へはビジターセンターから入ります。壕に入る前にまずはビジターセンター内にある資料室に立ち寄りたいところ。

資料室には、壕から発掘されたさまざまな遺品や家族へ宛てた手紙、写真やパネルなど、旧日本海軍や沖縄戦についての資料を展示しています。沖縄平和祈念資料館と比べると展示内容は少ないですが、戦闘経過などがわかりやすく紹介されています。平和祈念資料館は悲惨さを強調するような構成に感じましたが、こちらはニュートラルな視点で紹介されているように感じました。

壕入り口

旧海軍司令部壕は、地下約20mにあります。壕へはビジターセンターにある壕口から入っていきます。入り口と出口は別になっており、上記の写真は壕出口です。

壕内に入ると、地下約20mに向かって、どんどんと階段を下りていきます。

階段を下りていくと、壕内には無数の坑道が広がっています。カマボコ型に掘られた壕内はコンクリートと杭木で固められ、米軍の艦砲射撃にも耐えることができました。

南部に多く見られるガマを利用した壕と違い、海軍壕は完全に人工的な壕。現在のような掘削機械設備も無く、約450mもあるこの壕は、「つるはし」や「くわ」等によってすべて人の手で掘られました。

壕の壁をよく見てみると、つるはしの一本一本の跡が残っており、こんなに広い壕を全て手掘りで掘った当時の兵士達の苦労がよくわかりますね。

作戦室

階段を下りてすぐ目の前にあるのが作戦室。コンクリートで固められた壁には漆喰が塗られ、当時のままの姿を残しています。

幕僚室

こちらは幕僚たちが最期を迎える事になった幕僚室です。部屋は狭くて薄暗く、最期を迎えるにはあまりにも悲しい場所に感じました。

壁には自決された時の手榴弾の弾痕が当時のまま残されています。

司令官室

こちらの部屋は司令官室。大田司令官は、有名な「沖縄県民かく戦えり」の電報をこの部屋で書きました。また司令官室の壁面には「大君の御はたのもとに死してこそ 人と生まれし甲斐ぞありけり」という大田司令官の愛唱歌が当時のまま残されています。

暗号室

こちらの部屋は暗号室。作戦室や司令官室などは壁面をコンクリートで固められていましたが、こちらの部屋は土が剥き出しで、手作りの壕だった事を実感できます。


旧海軍司令部壕まとめ

司令部壕の出口付近にある絵を見つけた時、

「兵士たちのほとんどは武器らしい武器もなくこの出口から出撃、大半が二度と帰ってきませんでした」との説明とともに描かれた出撃風景の絵が強く印象に残っています。

援軍もない中、満足な武器もなく戦い、倒れていった兵士たちのことを思うと、恥ずかしながら涙が止まりませんでした。

映画『ザ・パシフィック』は、スティーブン・スピルバーグトム・ハンクスが製作総指揮となって

太平洋戦争を描いた全10話の長編映画です。

実在した3人の米兵の視点でガダルカナル、ラバウル基地のあったラバウル島のグロスター岬ペリリュー島硫黄島、そして沖縄での戦いが描かれています。

今まで戦争映画は何十本と観てきましたが、太平洋戦争をここまで深くリアルに描いた作品は、ザ・パシフィックが初めてでした。

興味がある方はぜひ「ザ・パシフィック」を視聴してみてください。

沖縄戦の戦跡を辿ってみよう

司令部壕を見学してもっと沖縄戦について知りたくなったら、ぜひ実際に米軍が上陸した海岸から日本軍の最後の拠点まで順番に辿ってみてください。

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