首里城の地下30mに眠る 旧日本軍「第32軍司令部壕」を訪ねて

沖縄観光の目玉スポットとして有名な首里城ですが、

実はその地下に旧日本軍の司令部跡が残っています。

沖縄戦で防衛を担った日本陸軍沖縄守備隊(第32軍)の司令部、首里城の地下に今も残るその戦跡を訪ねてみました。

首里城内に残る第32軍司令部壕

場所 首里城公園
住所
〒903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1-2
入場料 無料(城内は有料)
駐車場 あり(有料)
公式サイト
首里城公園公式サイト

首里城の地下には全長1,000m以上にも及ぶ巨大な地下壕、第32軍司令部壕が残っています。

首里城第32軍司令部壕戦跡マップ

首里城第32軍司令部壕戦跡マップ

沖縄方面防衛のために創設された第32軍は、圧倒的な戦力を誇る連合軍に対して本島南部に主防御陣地を構築して戦略持久を取る作戦を計画し、首里城地下約30mに南北全長約1,000m以上にも及ぶ巨大な司令部を構築しました。

一大地下ホテルのような壕内

司令部壕は約1,000名もの将兵や軍属、学徒、女性軍属などが雑居していた大規模なもので、司令官である牛島満中将や参謀長の長勇中将、高級参謀の八原博通大佐などがここで作戦指揮にあたっていました。壕内部は司令官室、参謀長室、作戦室、無線室、炊事場、浴室、トイレなど戦闘・指揮に必要な設備が完備されており、さながら一大地下ホテルのようでした。撤退の際に爆破され、坑口から約150mのところで崩落しており、壕内部の全貌は未だ判明していません。


首里城をめぐる戦闘

首里の防衛線が崩壊しつつあった1945年5月21日、日本軍司令部は首里陣地で最後の決戦を行うか、南部へ撤退し持久戦を行うかを参謀の八原大佐主導のもと協議しました。この時点で50,000名の兵力が残っており、首里で決戦を行うには陣地は手狭過ぎて格好の標的になってしまう恐れが高い状況でした。南部の摩文仁は丘陵や洞窟が豊富で防御拠点として良好であり、残存兵力も収容できて第24師団の軍需品が集積されていたりと持久戦の継続に良好なうえ、元々日本軍の戦略として日本本土への攻撃を遅延させ、敵に出血・消耗を強いるという目的を踏まえて協議した結果、全軍を南端の喜屋武半島へ撤退させ防衛戦を継続することを決定。5月27日、包囲されつつあった首里を放棄し夜間の豪雨を利用して撤退を行いました。

八原大佐が主導した首里放棄・南部(摩文仁高地)撤退による持久作戦継続は、軍事的な視点で見るとバックナー中将が戦死するなどアメリカ軍に多大な出血を強いただけでなく、戦闘終結まで3週間以上の遅延に成功したとして、敵であるアメリカからは作戦を主導した八原大佐と牛島中将は優れた戦略家と認められ高く評価されています。しかし、この南部撤退作戦は戦火を逃れ南部に避難していた大量の住民との軍民の混交を招いて住民の犠牲を激増させる要因となってしまい、沖縄戦における住民の戦没者全体の6割が南部撤退後に亡くなるなど沖縄県民に多大な被害を引き起こしたため、現在も根強い批判があります。

ヒコ太郎

首里を放棄し南部への撤退決定はアメリカ軍からは軍事的に高く評価されましたが、住民被害が激増する要因となったため、批判の声も多くあります。


首里城へのアクセス

第32軍司令部壕は、沖縄県那覇市の「首里城公園」内にあります。

ゆいれーる首里駅から徒歩約15分。車では那覇市内から約20分ほどと那覇市内や那覇空港からのアクセスも良好です。

首里城内に残る戦跡

トーチカ跡

道路脇に残るトーチカ跡。首里陣地を守るために構築されたこのトーチカは、首里城の南側、「真珠道」と呼ばれる路地入口付近の道路脇にあります。

首里城南側にある道路を進んでいくと、真珠道近くの道路脇にトーチカ跡が見えて来ます。ちょうど沖縄バスの首里城南口バス停目の前のあたり。

歩道の真横にあるコンクリート製の建造物がトーチカ跡。知らないと人から見たらトーチカ跡とは思わないかもしれません。

トーチカはほぼ土に埋もれており、横からみると出入り口らしき穴も確認できます。

歩道拡張工事により、無惨にもバッサリ切り取られてしまっていますが、完全に撤去されなかったのは幸いでしょうか。

ハンタン山通信所跡

第32軍司令部壕第1坑道向かいの雑木林の中、ハンタン山のふもとにあるのが通信所跡。トーチカのようにも見えますが、似たような構造の通信所があったため通信所と想定されています。

守礼門から真っ直ぐ進み、世界遺産である園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)を過ぎてすぐ左側にある階段を降りていきます。

階段を降りるとすぐに右側の雑木林の中に獣道があります。ちょうど第32軍司令部壕第1坑道の向かいあたり。

獣道を奥へと進んでいくと通信所跡が見えて来ます。

崩落の危険もあることから入り口はフェンスで覆われています。

フェンスの隙間から見た中の様子。土で半分ほど埋もれてしまっています。

左側にある入り口。

同じようにフェンスで覆われています。

フェンスの隙間から見た様子。壁をコンクリートで固められているのが分かります。

通信所の出入り口はもう1ヶ所あります。場所は先ほどの出入り口の左側あたり。こちらの出入り口につながる道は舗装されています。

出入り口は下半分ほど埋まっていますが、フェンスの隙間から中の様子を確認するとしっかりと残っているのがわかります。

フェンスの隙間から中をみた様子。

第32軍司令部施設 第1坑道付近

先ほど紹介した通信所跡の向かいは第32軍司令部壕第1坑道があった場所。第1坑道の出入り口は土に埋もれ現在も見つかっていませんが、司令部施設の一部が残っています。

守礼門を直進し、世界遺産の園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)先の左側にある階段を降りると、左側に第32軍司令部壕に関する案内板が見つかります。

歩道の脇にひっそりとあるので、注意していないと気づかないかもしれません。

案内板脇の林の中を進んでいくと、奥にコンクリートで構築されたトーチカのような第32軍司令部施設が見えてきます。

コンクリートによって堅牢に構築され、米軍の砲爆撃にも耐えられるように造られているのがわかりますね。坑口のようにも見えますが、こちらの施設はトーチカと言われています。坑口はこの付近にあったようですが、土に埋もれてしまって現在も見つかっていません。

2ヶ所ある出入り口はフェンスで封鎖されていますが、隙間から中を確認することができます。

こちらは右側のフェンスから中を見た様子。

こちらは左側フェンスから中を見た様子です。コンクリートで頑丈に造られているのがわかりますね。

さらに先ほどの出入り口の左側の斜面を登った先に、もう1ヶ所トーチカがあります。

斜面を上がり、雑木林を奥に進んでいくと、コンクリートで造られたトーチカが見えてきます。

こちらは下半分ほど土に埋もれ、若干崩落も進んでいますが、中を見てみるとしっかりと残っているのがわかります。

埋もれかかった隙間から内部を見た様子。

第32軍司令部 第5坑道

第32軍司令部壕第5坑道は首里城から南に少し離れた沖縄県立芸術大学のすぐ近くにあります。

司令部壕は第1坑道から第5坑道まであり、内部でつながっていましたが、撤退の際の爆破や宅地開発などにより第1〜4坑道の出入り口は土に埋もれてしまい、現在残っている坑口はこの第5坑道の坑口のみです。

第5坑道はアクセスが悪く、藪の中の悪路を進んでいくので、最低でも長袖、長ズボン、ブーツが欲しいところ。

第5坑道へは、首里城南側のトーチカ跡近くにある真珠道を下っていきます。

真珠道は石畳みで造られており、風情があります。足場が悪く斜面も急なので転倒に注意してください。

真珠道の途中からは美しい景色が見渡せます。

坂を降りて住宅街を抜けていきます。十字路に出たら左へ曲がり、沖縄県立芸術大学方面へ。

真珠道から十字路を左へ曲がり道路を進んでいくと、右側に沖縄県立芸術大学の首里金城キャンパスが見えてきます。

沖縄県立芸術大学の正門を通り過ぎたら右へ曲がり、大学沿いを進んでいきます。

そのまま大学を右手に見ながら、フェンス沿いに進んでいきます。

フェンス沿いを進んでいくと藪が見えてくるので、藪の中を進んでいきます。ここから先は草が激しく生えている場所を進んでいくので、それなりの格好で。

蜘蛛や蜂、ハブなどに注意しながら、藪の中を進んでいきます。草の高さはお腹ほどあるので、足元に気をつけてゆっくりと進んでください。

藪の中をフェンス沿いに進んでいきます。

フェンス沿いに歩いていくと左側に斜面があるので、うっすらと残る轍に従って斜面を降りていきます。

斜面をどんどん降りていきます。

そのまま降りていくと正面に駐車場の壁が見えて来ます。

右へ曲がり斜面をさらに降ります。

斜面を下まで降りると、右側に第32軍司令部壕の第5坑道の坑口があります。坑口の上は崖になっており、地中深くトンネルが掘られているのがわかります。

入り口の横には『有毒ガス注意』の看板がありました。

坑口の周囲は土嚢で固められ、坑口はフェンスで鎖錠されています。

フェンスの奥はビニールシートで覆われていますが、隙間から一直線に掘られた坑道内部の様子を確認することができます。


首里城に残る第32軍司令部壕まとめ

第32軍司令部壕は沖縄戦を伝える重要な戦跡のひとつ。しかし壕内部は崩落や風化が進んでおり、内部は公開されていません。沖縄戦を伝えるためにも、旧海軍司令部壕のように保存、公開して欲しい所ですが、現状は安全面から難しいようです。

しかし、ついに沖縄県の玉城知事が公開へ向けて意欲を示したほか、第32軍司令部壕の保存・継承及び公開を前提とした第32軍司令部壕保存・公開検討委員会が設置され、2021年1月22日に第1回会合が行われるなど、徐々に公開へ向けた動きが出てきました。

観光で首里城に訪れた際は、ぜひ第32軍司令部壕にも立ち寄って沖縄戦の歴史についても感じてみてください。

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