映画『ハクソー・リッジ』の舞台にもなった前田高地に残る戦跡を巡る

前田高地陣地(ハクソーリッジ)は、沖縄戦の激戦地として有名な場所。

激しい戦闘の様子はアカデミー賞を2部門受賞したメル・ギブソン監督の映画『ハクソー・リッジ』の中でリアルに描かれています。

ハリウッド映画の舞台にもなった沖縄戦の激戦地、浦添大公園内に残るハクソーリッジ(前田高地)の戦跡を巡ってみました。

前田高地陣地(ハクソーリッジ)

場所 浦添大公園
住所
〒901-2132 沖縄県浦添市伊祖115-1
入場料 無料
駐車場 あり(無料)
公式サイト
浦添大公園公式サイト

沖縄県浦添市にある前田高地は、太平洋戦争末期に行われた沖縄戦における激戦地のひとつとして有名で、のこぎりのような険しい崖であったことから米軍からは『ハクソーリッジ』と呼ばれていました。(ハクソーはのこぎり、リッジは崖の意味)

前田高地陣地は嘉数高地などとともに沖縄県の浦添市や宜野湾市一帯に構築された陣地群のひとつで、浦添大公園内に陣地壕やニードルロックなどの戦跡が現在も多数残っています。

特に映画ハクソー・リッジの舞台にもなった前田高地の崖は、沖縄戦を学ぶ上で一度は見ておきたい場所ではないでしょうか。

ハクソーリッジ(前田高地)をめぐる戦闘

1945年4月1日、沖縄本島にアメリカ軍が上陸して始まった本島での沖縄戦。序盤における激戦地のひとつである嘉数高地での戦闘から撤退した日本陸軍第62師団は、「ハクソー・リッジ」と呼ばれたこの前田高地に防衛線を構築しました。ここが陥落すると僅か数キロ後方の首里にある司令部が危険に晒されるためです。日本軍は守りを固め、第62師団3個大隊と第24師団歩兵第32連隊が防衛に当たりました。4月8日から4月24にかけて行われた嘉数高地の攻略で激戦を経験したアメリカ軍第96師団は4月26日にこの前田高地(ハクソー・リッジ)へ攻撃を開始しましたが、強固に構築された日本軍の「反斜面陣地」と呼ばれる防衛陣地に阻まれました。反斜面陣地とは敵から丸見えとなる丘の前面には陣地を置かず、敵からは見えない丘の裏側の反対斜面に陣地を構築することで敵に自軍の位置を秘匿できるほか、丘陵が盾になり砲撃などの直接攻撃による被害も抑えることができる陣地です。巧みに構築された反斜面陣地により鉄の暴風とも呼ばれる激しい砲爆撃による被害を防いだ日本軍は、アメリカ兵が高さ150メートルのナイフのような断崖を登り切ったところで猛烈な攻撃を加えて撃退。アメリカ軍はニードルロック(為朝岩)にもよじ登って攻撃を行いましたが、こちらも大きな被害を受け攻略することはできませんでした。4月29日には日本軍が反撃に出て被害が大きくなった第96師団は、デズモンドの所属する第77師団と交代しました。5月4日から6日にかけて戦闘は激しさを増す中、日本軍は擲弾筒、重機関銃、手榴弾などで応戦しましたが、5月6日に第77師団によって前田高地は占領されてしまいました。前田高地の戦闘で次々と犠牲者が増える中、デズモンド・ドス衛生兵は最前線で75名もの多くの命を救ったため、アメリカ軍人最高位の名誉勲章(メダル・オブ・オナー)が授与されました。

ハクソーリッジをめぐる戦闘は映画にもなった

2017年6月24日に公開された映画『ハクソー・リッジ(原題:HACKSAW RIDGE)』(メル・ギブソン監督作品)は、沖縄戦に従軍した実在の衛生兵デズモンド・ドスを主人公とする実話をベースにした作品です。

映画では、沖縄戦の激戦地ハクソーリッジで武器を持たずにたった1人で75人の命を救うデズモンド・ドスの姿が描かれています。

ハクソーリッジのあらすじ

ヴァージニア州生まれのデズモンド・ドスは、第2次世界大戦が激化する中で、自分も国の役に立ちたいと陸軍へ志願します。しかし信条から、「生涯、武器には触らない。人は殺さない。」という固い誓いがありました。衛生兵として人を救いたいと願うデズモンドですが、決して銃を持たないデスモンドの主張は誰からも理解されず、上官や仲間達からいじめられます。上官の命令に従わないデズモンドは軍法会議にかけられてしまいますが、そこでついに主張を認められたデズモンドは衛生兵として激戦の地、ハクソー・リッジへ向かいます。次々と兵士が倒れていく中、デズモンドがたったひとりで仲間の兵士たちを次々と救っていく・・・といったストーリーです。

ヒコ太郎

戦争映画としてはちょっと微妙でした。しかし迫力ある戦闘シーンと、前田高地での戦いをイメージするのに一度は観ておいてもいいんじゃないかな、…という感想です。

映画ハクソー・リッジのレビューというか、完全に個人的な感想です。主観大きめ。以下ネタバレ注意↓

映画としては、デズモンドの幼少期から始まり、恋人ができ、世の中が戦争の空気に包まれていく中で自分も志願して入隊し、訓練ではいじめに遭いながらも一人前の兵士となり、任務に赴いていく・・・という戦争映画あるあるなストーリーです。幼少期から始まり恋人ができて、日常が戦争一色に染まっていく中、自分も国のために志願する…というような流れは映画『パールハーバー』で見た事あるような、訓練の中のいじめのシーンは映画『フルメタル・ジャケット』で見たような既視感。ドスは微笑みデブのように軍曹殺しませんが…。ハクソー・リッジは戦争映画といってもデズモンド・ドス個人が話の中心のため、前半1時間以上は銃を持たないポリシーに対する人間ドラマが描かれます。後半になってやっとハクソーリッジでの戦闘シーン。沖縄場面では日本陸軍第62師団の3個大隊と増援の第24師団歩兵第32連隊が守るハクソーリッジに対し米陸軍第96師団が攻めますが、甚大な被害を出して僅か数日でデズモンドの所属している第77師団と交代するというシーンから場面は始まります。戦争映画の最高峰といえばプライベートライアンですが、ハクソーリッジはプライベートライアンと比べると戦争映画としては少し残念な印象…。戦闘シーンは戦争映画としては短く、特に日本軍の戦い方などの戦術や表現が甘いのが残念な点でした。まぁ戦争映画の巨匠スピルバーグ監督と戦争映画に慣れてないメル・ギブソン監督と比べるのはやや酷ですが…。激しい戦闘シーンや臓器などが飛び散るグロさなどはプライベートライアン並みで、確かに迫力がありました。しかし白兵戦で殴り合っているシーンや戦闘が始まる瞬間のシーンなどは、まるでアクション映画のような表現方法で少し興ざめ。特に残念だったのは、あまりにも雑な日本軍の描き方。たとえば戦闘中盤の壕から次々と沸き出てくる日本兵の反撃シーン。これはあまりリアルではありません。当時の日本軍はペリリュー島や硫黄島などの戦いから学んで強固な陣地群による持久戦術を取っており、特に前田高地などでは敵に防衛拠点を悟らせない反斜面陣地を構築して戦っていました。実際に前田高地などの陣地群を見学してみるとわかりますが、陣地壕の出入り口は敵に悟られないように小さく秘匿されていますし、司令部のあるような広い壕と違って壕内も狭く複雑で日本兵が隊列を組んで歩けるような広いものではありません。ですのであのような広い坑道から日本軍が何百人も連なって大量にわーっと奇声を上げながら出てくるような戦い方は史実とは離れています。また、一方的に日本軍が卑怯に描かれ、アメリカ軍の残忍なシーンは一切無いのも気になりました。当時のアメリカ軍は日本軍の壕を見つけると、馬乗り戦術と呼ばれるガソリン、ナパーム、火炎放射器による攻撃を行いました。このような攻撃によって史実の沖縄戦では壕に避難していた多くの民間人が亡くなっていますが、そのような残忍なシーンは一切なし。日本兵は、投降するふりして白旗掲げて手榴弾投げつけてくるなど卑怯に描かれる一方、アメリカ軍は負傷した日本兵に対してもモルヒネを打つなどひたすら清く美しく描かれています。最後の日本軍司令官の切腹のシーンはこの映画のハイライトのひとつですが、それまでの間に日本兵は「ただの敵」としてひたすら描かれ、日本軍側からの視点や、日本軍の人間味のある場面や表現が全くなかったので、最後の切腹シーンも深みが感じられなくなってしまったのが非常に残念でした。日米両軍による激戦の地であり、民間人も多く亡くなった沖縄戦を描くなら、もう少し両軍の将兵たちに敬意を持ち、観る方も色々と考えさせられる映画を作って欲しかったのが素直な感想です。と、気になる点ばかりを話してしまいましたが、戦闘シーンは確かに迫力がありますし、実在したデズモンド・ドスとハクソーリッジで実際にあった戦闘を感じる意味では一度は見ておいて損はないと思います。


前田高地へのアクセス

前田高地陣地(ハクソーリッジ)は、沖縄県浦添市にある浦添大公園内にあります。

ゆいれーる浦添前田駅の目の前にあり、那覇市内や那覇空港からのアクセスも良好。園内には無料の駐車場もあり、ゆいれーる、レンタカーのどちらでも那覇市内から30分ほどでアクセスできます。

浦添大公園内に残る戦跡

カンパン壕

カンパン壕は浦添大公園内にある壕のひとつ。ゆいれーる浦添前田駅を降り、浦添大公園のエントランス近くにあります。

フェンスで囲まれている場所が目印。

水路のように見えますが、これが壕の入り口。他の壕と同じく、中に入れないようにフェンスで封鎖されています。

カンパン壕の内部はコの字型の造りとなっています。食料保管庫として使われ、中はカンパンの箱が積み上げられていたため、カンパン壕の名称で呼ばれています。食料の保管だけでなく、戦闘中は負傷兵の収容にも使用されました。

浦添ようどれ

浦添ようどれは琉球王国の2人の王、英祖王と尚寧王が眠るお墓。極楽陵とも呼ばれる浦添ようどれは丘陵の斜面を利用して造られており、県指定文化財ともなっています。

墓庭に続く石積や石畳道が沖縄戦で破壊されてしまいましたが、2000年から2005年にかけて修復され現在の姿になっています。

浦添城下の陣地壕

浦添城は舜天王が創建し、その後は舜天王、英祖王、察度王と受け継がれ、約200年余りにわたって琉球王の居城となりました。

フェンスで封鎖された前田高地北側に残る壕入り口

フェンスで封鎖された前田高地の北側に残る壕入り口

その浦添城跡の近くには陣地壕が残されています。

入り口はフェンスにより封鎖されており、中に入ることはできません。

陣地壕の入り口は前田高地の各所にあり、各陣地同士はトンネルによって結ばれています。連鎖陣地を構築することでトンネルひとつが破壊されても、戦闘を継続することができました。

最初の陣地壕入り口から浦添城跡の左側を進んでいくと、もう1ヵ所陣地壕の入り口があります。

ディーグガマ

沖縄本島南部に多く見られる自然にできた洞窟のことを沖縄の方言でガマと呼んでいます。ディーグガマは、洞穴(ガマ)にデイゴの木があったことが名前の由来。

沖縄戦後に戦没者の遺骨が納められた場所で、入り口には千羽鶴が置かれていました。現在は遺骨は糸満市にある平和記念公園へ移されています。

平和の碑と陣地壕

ハクソーリッジから先に進み、狭い急な階段を降りていくと前田高地平和の碑があります。

前田高地平和の碑は、前田高地の戦闘で大きな被害を出した第24師団歩兵第32連隊第2大隊所属の戦没者を慰めるために建立された慰霊碑です。

志村大尉を大隊長とした同部隊は、ハクソーリッジとともに激戦となったワカリジー(ニードルロック)方面で戦闘を行い、多くの被害を出しました。

慰霊碑の横に残る陣地壕の入り口

慰霊碑の横に残る陣地壕の入り口

慰霊碑の横には壕の入り口がひっそりと残っています。

フェンスの隙間から壕内の様子が確認できます。

ワカリジー(ニードルロック)

この岩の頂上をめぐって激戦となったニードルロック(Needle Rock)

この岩の頂上をめぐって激戦となったニードルロック(Needle Rock)

前田高地平和の碑から南へ進んでいくと、ワカリジー(為朝岩)が見えてきます。ワカリジーはアメリカ軍からはニードルロック(Needle Rock)と呼ばれ、この岩の頂上をめぐって激戦となりました。

ワカリジーは浦添のシンボルとして、浦添八景にも指定されています。

ハクソーリッジ(前田高地の崖)

ハクソー・リッジと呼ばれた前田高地の断崖絶壁

ハクソー・リッジと呼ばれた前田高地の断崖絶壁

浦添城一帯の丘陵は前田高地と呼ばれ、米軍からは「ハクソー・リッジ」(ノコギリのような崖)と呼ばれていました。実際にここに立ってみるとハクソーリッジは断崖絶壁で、ここを攻略をするのが如何に難しいのかがよく解かりますよね。

約150mの断崖絶壁は戦車による進軍が難しく、米軍は網梯子を登って攻撃を行いました。対する日本軍は反射面陣地を活用し、各地に張り巡らせた陣地壕によって砲爆撃から身を守り、150mの崖を登ってきた米軍を迎え撃ちました。

ここに来ると当時の様子が目に浮かびます。内地からの援軍はなく孤立無援の中、海岸を埋め尽くす米軍艦船をここにいた兵士たちは何を思いながら見ていたのでしょうか…。

ハクソー・リッジからは米軍が上陸した読谷・北谷の海岸や嘉数高地が見渡せる

日米が死闘を繰り広げた激戦地、ハクソー・リッジ


ハクソーリッジまとめ

日米将兵が死闘を繰り広げた「ハクソー・リッジ」は、今も当時の様子を残しています。

前田高地を訪れてみて、実際の沖縄戦の様子をリアルに感じ取ることができました。

映画『ハクソー・リッジ』では、前田高地での激戦と実在したデズモンド・ドス衛生兵の姿が描かれているので、70年前にここで実際にあった戦闘をぜひ映画でも感じてみてください。

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