『第32軍司令部終焉の地』平和祈念公園内にひっそりと残る沖縄守備隊最期の地

軍民併せて約20万人が亡くなった沖縄戦。

米軍に包囲された日本陸軍沖縄守備隊第32軍)は首里に構築した司令部を撤退後、本島南端の摩文仁で最期の戦いを行いました。

沖縄守備隊が最期を迎えた司令部壕は、平和祈念公園の片隅に今もひっそりと残っています。

平和祈念公園に残る第32軍司令部終焉の地

場所 沖縄県平和祈念公園
住所
〒901-0333 沖縄県糸満市字摩文仁444
入場料 無料(資料館は有料)
駐車場 あり(無料)
公式サイト
沖縄県平和祈念公園公式サイト

平和祈念公園は本島南部、糸満市摩文仁にある世界の恒久平和を祈念した公園。公園からは摩文仁の丘陵や断崖絶壁の美しい海岸線が眺望できます。

そんな沖縄平和祈念公園の片隅には、沖縄戦で防衛を担った日本陸軍守備隊第32軍が最期を迎えた司令部壕が残っています。

公園内には第32軍司令部壕のほか、沖縄戦の貴重な資料を展示した平和祈念資料館を始め、沖縄戦で亡くなった軍民すべての人々の名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と平和を祈る「平和祈念像」、国立沖縄戦没者墓苑や多数の慰霊塔が建立されており、観光の要所ともなっています。


摩文仁をめぐる戦闘

沖縄方面防衛のために創設された第32軍は圧倒的な戦力を誇る連合軍に対して本島南部に主防御陣地を構築して戦略持久を取る作戦を計画し首里に司令部を構築しましたが、米軍の猛攻を受けて1945年(昭和20年)5月27日に首里司令部を撤退し、この本島南端にある摩文仁に最期の拠点を構築、本土への攻撃を1日でも遅延させるための捨て石として、増援もないまま最期まで抵抗を行いました。狭い壕内には避難してきた一般住民と撤退・抗戦する日本軍との混交を招き、住民の犠牲が激増する要因となりました。日本軍最期の抵抗により、6月18日にはアメリカ軍沖縄方面最高司令官サイモン・B・バックナー中将が戦線視察中に戦死するなど米軍も大きな犠牲を払いましたが、6月23日には司令官である牛島満中将や参謀長の長勇中将などが自決、残る部隊も玉砕を行い、組織的な抵抗が終わりました。アメリカ軍はその後も残存日本兵に対する掃討作戦を続け、7月2日に作戦の終了を宣言しました。沖縄県では日本軍の組織的抵抗が終了した6月23日を「慰霊の日」としています。

ヒコ太郎

多くの沖縄住民と沖縄守備隊が最期を迎えた哀しい場所


平和祈念公園へのアクセス

第32軍司令部終焉の地は、沖縄県糸満市摩文仁にある沖縄県平和祈念公園内にあります。

那覇市内から来るまで約30分。公共交通機関でのアクセスは悪いです。

勇魂の碑

勇魂の碑は第32軍司令部軍属の慰霊のために建立された碑。

公園南側へ進み、しづたまの碑・樺太の碑の脇にある階段を登っていきます。牛島司令官や長参謀長を祀った黎明之塔や、第32軍司令部終焉の地、沖縄師範健児隊の壕もこの階段の先にあります。

階段を登ると展望台の脇で二手に分かれます。

勇魂の碑と黎明之塔は右手側を進むとすぐ先です。

第32軍司令部軍属の慰霊のために建立された勇魂の碑は黎明之塔の手前にあります。手前には牛島司令官と長参謀長の墓跡があります。勇魂の碑には、亡くなられた第32軍司令部軍属の方々の名前が刻まれています。

黎明之塔

丘の先端にある黎明之塔は、沖縄防衛を担った第32軍司令官の牛島満大将と参謀長の長勇中将を祀っています。1962年に沖縄遺族連合会によって建立されました。

第32軍司令部終焉の地

第32軍司令部終焉の地があるのは黎明の塔近くから海岸へ降りる途中の左側。展望台の脇に階段かあるので、こちらの階段を降りて行きます。

展望台脇の階段を降りてすぐ左へ曲がり、もう少し階段を降りて行きます。

階段を降りるとすぐに壕が見えてきます。

こちらの壕が「第32軍司令部終焉の地」と呼ばれる沖縄守備隊が最期を迎えた場所です。

第89連隊第2中隊の陣地として構築されましたが、首里司令部撤退後こちらの壕に司令部を移し、沖縄守備隊が最期を迎えるまで使用されることになります。

牛島司令官は自決直前の6月20日に中将から大将に昇進し、1945年6月23日、牛島司令官と長参謀長はこの壕で自決しました。

壕の横に第32軍司令部終焉の地と刻まれています。

司令部壕は2重のフェンスで鎖錠されており、中に入ることはできません。

沖縄師範健児隊の壕

沖縄師範健児隊の壕は、沖縄師範学校の生徒・職員を祀る慰霊塔の近くにあります。

司令部壕と同じく、展望台の脇の階段を降りて行きます。

左へ曲がらず、階段に従って降りて行きます。

海に向かってどんどんと降りて行きます。

階段を降りた左側に沖縄師範健児隊の壕はあります。

沖縄戦では県内にある師範学校、中学校の生徒達が戦場に動員され、男子生徒は鉄血勤皇隊や通信隊として、女子生徒は野戦病院などで看護活動に当たりました。戦場に動員された多くの生徒が亡くなり、沖縄師範学校の生徒も摩文仁周辺で200名近くが亡くなりました。

壕の中には納骨堂があります。

沖縄県平和祈念資料館

沖縄戦について知るなら、沖縄平和祈念資料館は必ず見たい場所。沖縄戦に関しての展示はどこよりも充実しています。

メインとなる2階の常設展示室は、住民目線での沖縄戦をテーマとしており、「沖縄戦への道」、「鉄の暴風」、「地獄の戦場」、「沖縄戦の証言」、「太平洋の要石」の5つのテーマで構成されています。実物の資料、映像や写真パネル、沖縄戦を経験された方の体験談や証言映像など、展示内容の充実度は高いです。

特に壕の中の様子を再現したブースは非常に精巧に造られていて、実際にガマ内にいるような気分になるほどリアル。

入場料大人300円、子供150円(未就学児無料)。館内の撮影は禁止となっています。


第32軍司令部終焉の地まとめ

第32軍終焉の地の丘の頂上に立つと、美しい景色が広がります。

ここに立ち、沖縄守備隊や沖縄住民はこんな断崖絶壁に追い詰められ最期を迎えたのかと思うと、波の音が哀しく感じました。

沖縄に訪れたら、ぜひ沖縄戦の戦跡を辿ってみてください。

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