太平洋戦争末期、本土決戦最後の拠点として密かに構築された「松代大本営」。
象山、舞鶴山、皆神山の3ヶ所に構築された巨大な地下坑道群は現在もひっそりと残っています。
長野の山奥に眠る、「松代大本営」の巨大な地下壕を巡ってみました。
もくじ
松代大本営跡
場所 | 松代象山地下壕 |
住所 |
長野県長野市松代町松代1446-6 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | 周辺にあり |
営業時間 |
9:00〜16:00(最終入場15:30) |
休壕日 | 毎月第3火曜日・年末年始 |
松代大本営跡は、太平洋戦争末期に本土決戦の最後の拠点として、皇居、大本営、政府中枢機能移転のために長野県長野市松代地区などの山中(象山、舞鶴山、皆神山)に掘られた総延長約10kmにも及ぶ巨大地下坑道跡です。
1944年11月11日から1945年8月15日終戦まで、多くの朝鮮や日本の人々が動員され、わずか9か月の間に建設されたもので、全工程の約8割が完成しました。
これらのうち、象山地下壕、舞鶴山地下壕、天皇御座所などが現在も残っており、象山地下壕の内部、舞鶴山地下壕の入り口、コンクリート製の1号舎に造られた天皇御座所の和室は外から見学できます。
松代大本営の歴史
太平洋戦争末期、本土決戦を想定し、海岸から離れた場所への中枢機能移転計画が極秘で進められ、下記の理由から建設場所に長野県の松代が選定されました。
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1944年7月サイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実の問題となり、長野県松代への皇居、大本営、その他重要政府機関の移転のための施設工事が了承されました。
最終的に、象山には政府機関・日本放送協会・中央電話局の施設を、舞鶴山に皇居と大本営を、皆神山には備蓄庫が予定され、3つの地下壕の総延長は10kmにも及びました。
舞鶴山の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省として予定されていた建物が造られました。コンクリート製の庁舎は現在も残っており、御座所など一部は見学可能です。
松代大本営へのアクセス
松代大本営は、長野県長野市松代町にあります。
上信越自動車道の松代PA近くにあり、都内からは車で約3時間ほどでアクセスできます。
松代に残る戦跡
象山地下壕
象山地下壕は、政府機関・日本放送協会などが入る予定だった地下壕です。
象山地下壕には駐車場がありません。
周辺には公共の無料の駐車場や民間の有料駐車場がありますが、
200円で駐車可能な地下壕すぐ目の前の「象山駐車場」が近くておすすめです。
象山駐車場脇の川沿いを少し南へ歩いていくと、象山地下壕の案内看板があるので、案内に従って橋を渡ります。
橋を渡ると象山地下壕はすぐ目の前。
まずは右側にある建物で受付します。入壕料金は無料。
受付で軽く説明を受けたら、入り口でヘルメットを借ります。
壕の入り口周辺には歴史や案内図などの看板があるので、読んでから入壕すると理解が深まります。
こちらが松代大本営(象山地下壕)の入り口。
入り口部分は小さく、ここに総延長約5,800mにも及ぶ巨大な地下壕があるとは想像できません。
扉を開けて壕の内部へ降りていきます。
壕の中へ入るとジメっとした湿気と、湿気を含む温泉のような匂いが鼻を刺激します。
真夏に訪れましたが、灼熱の外とは打って変わってひんやりとした壕内。
壕の内部は電灯に照らされていますが、一部暗い場所もあるため、足下に注意して進んでいきます。
壕内は見学者の安全のため、壁などが補強されていますが、当時の様子がそのまま残されています。
松代大本営は碁盤の目のような壕のため、分かれ道が多くありますが、見学できるルートは一本のみ。
そのほかのトンネルには入れないようにフェンスで囲まれています。
薄暗いですが、フェンスの先のトンネルの様子も柵の手前から確認できます。
薄暗い壕内をどんどんと進んでいきます。
最初の曲がり角を過ぎ、少し先へ進むと、壕の内部が広い空間になります。その大きさは車も通れそうなほど。
このような巨大な壕の中を何百メートルも歩いて行きます。
巨大な碁盤の目のような構造のため、他のトンネルが何本もあり、入れないように全てフェンスで仕切られてます。
壕内には電気配線跡や削岩機のロッドなど、当時のものがそのまま残されていました。
フェンスで仕切られた未公開部分の壕内は暗く、ライトで照らさないと先がよく見えません。
未整備の壕をフェンス越しに撮影。
松代大本営の建設では多くの朝鮮人労働者が作業に当たりました。
その方々によって書かれたと思われる「大邱」という文字などが未公開部分の壕内の壁に残っています。
こちらはトロッコの枕木跡。
壕を掘る際にできる石屑を壕外へ搬出するためにトロッコも使用されました。
松代大本営は碁盤の目のように掘られた壕です。
正確に掘削するためには測量が必要ですが、その測点跡が残っています。
500メートルほど長い壕内を歩いてきましたが、ここが見学できる終点。
見学できるのはここまでですが、壕はまだまだ先まで続いており、象山地下壕の巨大さがよくわかります。
来た壕内を折り返して戻っていきます。
入壕する際には気付きませんでしたが、壕内にはコウモリも何匹かいました。
舞鶴山地下壕
舞鶴山地下壕は大本営が入る予定だった壕。
現在も壕は残されていますが、壕内は一般公開されていないため、見学できるのは入り口まで。
舞鶴山地下壕は象山地下壕から南に1.5kmほど進んだ場所にあります。
上記Googleマップの場所に車を停めると、壕はすぐ目の前。
広場の先にひっそりと壕の入り口があります。
入り口付近には案内図や案内看板があります。
案内にも記載されていますが、舞鶴山地下壕は気象庁の地震観測所として現在は使用されています。
1号舎(天皇御座所)
舞鶴山地下壕のすぐ近くにコンクリート製の庁舎(1号庁舎)が残されています。
ここは天皇の御座所として使用される予定でした。天皇陛下の居間、寝室として使用される予定だった場所で、窓越しにその貴重な部屋を見学することができます。
庁舎の脇を上がっていきます。
こちらの建物が天皇御座所として使用される予定だった1号庁舎。
天井や裏側のコンクリートは厚さ約80〜90cmもあり、爆撃などの攻撃にも耐えられるように、堅固に造られました。
建物脇には案内看板が立てられています。
御座所はこちらの窓から見学可能。
部屋は15畳ほどあり、ヒノキや秋田杉などの高級木材が使われています。
終戦までにこちらの部屋はほぼ完成しましたが、そのまま終戦を迎えたため、天皇陛下がこの部屋を使うことはありませんでした。
朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑
松代大本営の建設に当たっては、日本人のほか多くの朝鮮人労働者も動員されました。
大邱からも多くの人が動員され、壕内には大邱出身の朝鮮人労働者が書いたとみられる文字も残されています。
作業は複数のチームで行われ、作業の遅いチームはコーリャンを多く混ぜた米が配給されました。
過酷な工事、また栄養失調などで多くの方が犠牲となり、壕の横には追悼平和祈念碑が建てられています。
松代大本営まとめ
本土決戦に備えた最期の拠点「松代大本営」は、今も長野の山中にひっそりと当時の様子を残しています。