調布市にある調布飛行場。
かつては旧日本陸軍の飛行場として、首都防衛の要の基地でした。
今ではのんびりとした都営のコミューター空港ですが、飛行場の周辺には当時使われていた掩体壕が今も形を残しています。
旧陸軍調布飛行場の面影を探して、調布に残る掩体壕を辿ってみました。
もくじ
旧日本陸軍調布飛行場
1941年に完成した調布飛行場は軍民の公共飛行場として開設、太平洋戦争の勃発すると陸軍の飛行場となりました。
戦況が悪化する末期の1945年頃には、本土空襲を狙って飛来するB-29戦略爆撃機などを迎撃するために三式戦闘機「飛燕」などが配備され、帝都防衛の防空拠点としての重要な役割を担っていました。
帝都防衛の要「三式戦闘機飛燕」
旧陸軍調布飛行場に配備され、帝都防空の任を担ったのが三式戦闘機「飛燕」。
ドイツ軍主力戦闘機Bf109メッサーシュミット用エンジンを国産化したハ40を搭載した、
旧日本軍唯一の液冷式エンジンを搭載した戦闘機です。
当時の日本軍の戦闘機で高度約10,000mを飛行するB-29に対して迎撃できる戦闘機は、この飛燕だけでした。
しかし飛燕でもこの高度での迎撃は容易ではなく、排気タービンを搭載していない飛燕にとっては10,000mに到達するだけでもやっとの状況の中、
決死の体当たりなどでB-29に打撃を与えました。
その飛燕は、岐阜かがみはら航空宇宙博物館に現存しています。
→「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」展示機まとめ。三式戦闘機『飛燕』がかっこ良すぎて惚れた。
掩体壕とは
「掩体壕」とは、航空機を空襲から守り隠しておくための施設。
平地にある多くの掩体壕は強度を高めるために屋根がアーチ状(かまぼこ型)になっています。
屋根がコンクリート製の一般的な掩体壕を「有蓋掩体壕」、
屋根がなく上は草や木で覆っただけの掩体壕は「無蓋掩体壕」と呼びました。
調布陸軍飛行場には有蓋掩体壕が約30基、無蓋掩体壕が約30基作られました。
貴重な航空機を守るため、こうした掩体壕は太平洋戦争中各地に造られ、調布飛行場以外にも築城や新田原、小松基地周辺など多くの場所でその姿を現在に残しています。
また航空自衛隊では「えん体」と呼び、千歳基地や小松基地、三沢基地などで見ることができます。
調布の街に残る掩体壕MAP
大沢1号掩体壕
調布飛行場の北側、武蔵野の森公園内に大沢1号掩体壕があります。
周囲をフェンスで囲われた掩体壕は、当時のままの姿を残しています。
掩体壕の正面には飛燕のイラストが描かれており、遠くから見るとまるで実機が展示されているかと思うほど中々リアル。
掩体壕の横にはミニチュアの飛燕も展示されています。
大沢2号掩体壕
同じく武蔵野の森公園内、大沢1号掩体壕の目と鼻の先に大沢2号掩体壕もあります。
調布飛行場を見渡せる展望の丘のすぐ近く。
こちらはイラストが描かれていないため、掩体壕の中の様子をフェンス越しに見ることができます。
白糸台掩体壕
調布飛行場の西側、西武多摩川線白糸台駅のすぐ近くにあるのが白糸台掩体壕。
住宅街の中にある公園のような広場の中にぽつんと掩体壕があります。こんなところに掩体壕があるの?という感じるような場所。
大沢掩体壕と違い、調布飛行場からは少し離れた場所にあり、当時貴重な機体を守るために飛行場から分散して機体を隠してたことがわかります。
白糸台掩体壕も周囲はフェンスで囲まれていて普段は立ち入り禁止ですが、年に1回ほど内部に入ることができる見学会もあるので興味のある方は参加してみてください。
朝日町掩体壕
調布飛行場西側、朝日町地区にある朝日町掩体壕。
この朝日町掩体壕は少し特殊です。
他の3ヶ所の掩体壕はしっかりと整備された場所にありましたが、こちらの掩体壕は整備されておらず、住宅街の一角にひっそりと残っています。
朝日町の住宅街を歩いて行くと、住宅と工場に挟まれた隙間に掩体壕が見えます。
私有地のため近くまで近づくことはできず、遠くから眺めるだけですが、掩体壕であることははっきりとわかります。こちらの掩体壕は以前TVで取材されていたこともあり、知ってる人もいるかもしれません。
住宅街にあるため、訪れる際は近所の方の迷惑とならないよう配慮をお願いします。
また掩体壕の周りは私有地ですので、私有地には絶対に立ち入らないようにお願いします。
調布の掩体壕まとめ
かつて調布飛行場周辺に60基以上も造られた掩体壕も今は4つしか残されていません。
今も当時の様子を残す貴重な掩体壕、興味のある方は見学に訪れてみてください。
散策には調布周辺にはシェアサイクルがあるので、それを利用すると便利です。
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